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リハビリの世界の話を患者さんやそのご家族、またこれからリハビリに興味を持ちたいかたなど、リハビリの専門家ではないかたにも読んでいただけるようわかりやすいことばでブログにしてみました。趣味の話も少々。                    (旧タイトル・理学療法士板東蓮三郎の視点論点)

終末期の意向確認②

前回の続き
 私の父は気管支拡張症の持病があって呼吸器に痰が貯まりやすく、一旦咳が出始めると咳がずっと続きとても苦しそうでした。晩年の1年間は「在宅酸素療法」のお世話になり、常時酸素ボンベからの酸素のチューブがつながった生活となりました。
 最後の入院のとき(それ以前の入院のときも)終末期になった際にどのように希望するかの意向確認があり、「延命処置を希望する」「延命処置はおこなわず苦しまないだけの処置で自然にまかせる」の選択肢の中から私は後者を選択していました。
 その選択の際主治医に「やはり父は最期苦しむのでしょうか?」とたずねると「たぶんそのときは意識がないでしょうから苦しまれることはないと思います。」との回答でした。
 父の容態が急変したとの連絡があり病院に行くと、まだ父の意識はあり、「苦しくない?」ときくと「苦しくないよ。」との会話ができたのですが、次第に意識がなくなりました。
 その日は日曜日で主治医は休みだったのですが、代わりの担当医が「本当に延命処置をしなくてよろしいでしょうか?」ときいてきました。
 この質問をされたときはさすがにグッと心に来るものがありましたが、ここで延命処置をお願いすれば、私自身が医療従事者であり、のどに穴をあけられ(気管切開)人工呼吸器による呼吸となり、その他にもいろいろなチューブや線がつけられて生きていくというストーリーが読め、それは父を苦しめるだけだということがわかっていたので、「はい、結構です。」と答えました。
 最期は本当に線香花火が終わるように亡くなりました。

 あとで新聞記事などで知ったのですが、多くの家族が意向確認のときには「延命はしない」との意思表示をするそうです。にもかかわらずその中の相当数の家族が、最期の瞬間に立ち会ったときに「もう少し長生きさせてあげてください。」に変わってしまうそうです。
 新聞の投書欄で読んだ、父親の最期の場面で延命処置を希望し一時的に延命できたものの、その後お父さんとの別れを経験された女性からの投書では、「父親との別れを受け入れるための時間が欲しいだけだった。私のわがままだけでお父さんに苦しい思いをさせてしまった。」と後悔しておられました。
 延命処置を希望しない私のようなありかたを、「薄情だ」と思う人がいるかもしれません。しかしこれも父への心からの愛情であったと私は心底思っています。
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