リハビリの世界の話を患者さんやそのご家族、またこれからリハビリに興味を持ちたいかたなど、リハビリの専門家ではないかたにも読んでいただけるようわかりやすいことばでブログにしてみました。趣味の話も少々。                    (旧タイトル・理学療法士板東蓮三郎の視点論点)

「徘徊」を言い換える

前回の続き
 認知症の人に対するデイケアを始めたのも長谷川先生の功績だそうです。
 「何もわからなくなっている」との差別的なイメージが強い「痴呆」ということばを使うのを止め、「認知症」ということばに変えようという運動にも、長谷川先生の尽力があったことを知りました。

 長谷川先生のインタビュー記事が新聞に掲載された10日くらい後に、「徘徊」ということばをなくしていこうという運動の記事が同じ新聞に掲載されました。
 「徘徊」ということばには、「目的もなくうろうろと歩き回る」というイメージがあるが、初期の認知症と診断された男性から「散歩という目的があって出かけた。道がわからなくなって怖かったが、何とか家に帰らなくては、と意識してた。」だから徘徊ではないんだ、徘徊という呼び方はやめてほしい、との声があがっている、というものです。

 ここ数年、高齢のドライバーが運転する事故が社会問題化し、「車を使って徘徊していた」という報道を聞いたとき、一般の人は、あの運転にも目的があったと考えることはなく「何もわからない人が運転していたんだ」と思ってしまいます。

 老人ホームに勤めている私も、痴呆棟にいる高齢者がいつ転ぶかもわからない歩きかたなのに、「座ってて。」とお伝えしても少しも座っていることなくすぐに立ち上がって歩き回っている様子を見て、「何か目的があるのだろうか?」と考えてしまいます。まだ認知症のかたのことを正しく理解できていないようです。

 「徘徊」に代わる適切な表現が見あたりませんが、「痴呆」ということばを言い換えたのと同じように、認知症のかたのことを正しく理解してあげられるようになるためにも、不適切なイメージを含む「徘徊」を使わない方法をさがすのは大切なことなのですね。
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