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リハビリの世界の話を患者さんやそのご家族、またこれからリハビリに興味を持ちたいかたなど、リハビリの専門家ではないかたにも読んでいただけるようわかりやすいことばでブログにしてみました。趣味の話も少々。                    (旧タイトル・理学療法士板東蓮三郎の視点論点)

犬の×××につきあう

 少し前のどうでもいい、しょうがない話です。

 知人のお宅に小さいオスの犬がいました。
 とても人懐こくて、私が行くといつも喜んで近づいてきてくれます。
 あるとき、彼のあごをなで、そのまま両方の前脚の間から手を差し込みお腹をもんでいると、人差し指と中指でちょうどそのとき大きくなっていたお〇ん〇んをはさむ形となりました
 彼は気持ちが良くなってしまったようで、腰を前後に振り始めました。
 これにはこちらがおもしろくなってしまい、しばらくはそのままやらせておいたのですが、ほどなくして手を離して引き、終わりにしました。
 すると彼は「もっとやってよ。」と、前脚で私の手を引き寄せ、継続を催促してきました。もう少しだけつきあってあげました。

 ワンコ、だいぶ欲求不満がたまっていたようです。
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シューティングゲーム

 子供の頃、お訪ねした田舎のお宅でトイレの中にクモが巣を張っていました。私はその巣の真ん中にいるクモが怖くてトイレに入ることができません。
 そのことをその家の人に言うと「クモは何も悪いことをしないから大丈夫だよ。」と言うのですが、怖がっている私の希望に負けてクモに殺虫剤をかけてくれました。するとクモはまっすぐ下にストーンと落ちて絶命してしまいました。
 そのあまりにあっけない死にかたに「クモってなんて弱いんだろう。かわいそうに。」と死んでいったクモに申し訳ない気持ちになりました。

 今、自宅や職場でクモやその他の虫に(それにヘビも)遭遇すると、できれば殺さずに外に出してやりたいと思います。
 しかしハエ・蚊・ゴキブリは例外です。これらがいればやはり「無罪放免」という訳にはいきません

 先日、老人ホームの中を大きなハエが縦横無尽に飛んでいました。
 仕切ることのできる狭い空間にハエが入ったのを見計らって仕切りをし、あればハエ叩きを使うところですが緊急なので履いていた上履きの片方を手に取り、壁に止まった、あるいは空中を飛んでいるハエをめがけ、叩き落としにかかりました。
 逃げるハエも必死ですが、空中をこちらに飛んできたハエを上履きがついにクリーンヒットし、ハエは飛んできたのと反対方向に飛ばされて壁に叩きつけられ、直下の床に落下し、もう一度上履きでぴしゃりととどめを刺されてぺちゃんこになり、ティッシュペーパーでつままれてゴミ箱へご用となりました。

 私はライフルなどで射的をしたり、ゲームセンターでシューティング・ゲームをするする習慣はありませんが、ハエ退治やゴキブリ退治はさながらシューティング・ゲームをするようなスリリングな楽しみがあります。

犬猫病院

 最近テレビのいろいろなチャンネルで動物の番組が放送されています
 そんな番組の中で、動物病院に連れて行かれそうになると鋭敏に気づき、獣医院の方向に歩くのを抵抗する犬や猫が出ることがあります。
 前に連れて行かれたときに注射をされて痛かったのを覚えているのです。人間の赤ちゃんと同じだな、と思わず笑ってしまうことがあります。

 病院でリハビリがいやで、どうしてもリハビリ室に行きたがらない高齢の男性がいました。
 車いすに乗せて病室からリハビリ室に連れて来るのですが、どのようなルートでどのような向きで車いすを動かしても、あの手この手でつかまれる所に手を伸ばし、断固としてリハビリ室の方向に進むのを抵抗するのです。奥様やお子さんたちが回りからどのように声をかけても、おじいちゃんの耳にはまったくはいっていきません。

 このおじいちゃんが上記の動物に似ているといっては失礼なのですが、テレビでそのような動物を見ていると、どうしてもあのときのおじいちゃんを思いだしてしまいます。

めまいのリハビリの話を聞きに

 先日ここで、広島の学会で午前の早い時間におこなわれる講演を聞きたいために、前日定時まで仕事をしたあと夜行列車・サンライズで岡山まで行き、岡山から早朝の新幹線に乗り継いで、時間に間に合うように広島の会場入りした話を書きました。

 そのとき聞きたかった話のテーマは「めまいのリハビリ」でした。
 ちょうど当時私が勤めていた病院にもめまいのリハビリに力を入れている耳鼻科の先生がいたこともあり、興味のあるテーマでした。
 ところがこの講演をした大学の耳鼻科の先生のお話は、めまいが起こるメカニズムについておこなった実験の成果を披露するだけのもので、実際にどのようなリハビリをおこなっているかについては、「その辺はみなさんのほうがお詳しいでしょうから。」というだけでした。
 これでは早朝に広島に着けるように苦労して来た甲斐がありません。受講者の多くが期待していた内容ではなく、がっかりでした。

最前線

 先日読んだ新聞に、アメリカで資産家がある大学の卒業生約400人の学生ローン総額約44億円を代わりに支払う、という記事がありました。
 日本でもこの就職難の時代に大学卒業後の就業がうまくいかず、学生ローンの返済が滞る人が増えて社会問題になっています。
 日本では借金が返せないと取り立て屋に追い回されることがあるようですが、アメリカではそのような場合に軍隊に入れられることになり、しかも最前線に送られるのだそうで、学生ローンをきちんと返済できるかどうかは、それを使って学ぶ大学生にとっては切実な問題なのだそうです。
 なので上記のような篤志家による寄付は本当に大きな救いの手になります。

 軍隊の最前線、ということばを聞いて別の話を思い出しました。
 もし戦争が起こっても理学療法士は最前線に行かない、というものです。
 というのは、医師や看護師は前線に近いところで従軍し傷病者に応急処置をしなければならないこともあるのに対して、理学療法士は傷つき障害が残った兵士を、前線ではなくもっと後方で機能訓練をして、社会復帰させるのが役割だから、というのです。
 この話の真偽はわかりません。
 もちろん戦争はただ単に殺し合いなので、起こしてはいけないし、喧嘩を売られても平和な方法で解決しなければならないのは言うまでもありません。

骨の研究者のお話

 最近ある所で、解剖学の研究者の講演を聴く機会がありました。
 動物の骨が大好きで専門にされ、本題から外れた話が秀逸で、この先生の話を聞くのはとても楽しみです。
 ヒトの骨はもちろん、いろいろな動物の骨も集め、その知見を私たちに面白おかしく伝えてくださいます。
 骨のためには、クジラを始めいろいろな動物の死体が見られる場所に精力的に出向き、可能なものはご自身のコレクションにして、コレクションを次々に増やされているようです。

 ある外国に旅行をされた際、その国にだけ生息する有名な動物が多く暮らす林を旅行の同行者と散策する機会があったそうです。
 他のメンバーがその動物の姿を求めて樹上を眺めているとき、先生は白骨化した骨が落ちていないか、その視線は歩く先の地上を見て回られていたようです。
 そんなとき求めるその動物の白骨化した骨が「まるで私のためにあるかのように」落ちていたのだそうです。
 その動物は生体は言うに及ばず、死体も、白骨化した骨まで国外に持ち出すことはできないことになっているのだそうですが、この動物の骨を比較研究できることは大きな財産になると考えられたのか、何とかうまく隠して持って来ちゃったのだそうです。(ここでは敢えて国名と動物の種類は記しません)
 研究仲間でもこの動物の骨を持っている人はおらず、これは先生の自慢になっているご様子でした。
 こんなおもしろい話がうかがえるので、この先生のお話はとても楽しみなのです。

首ポキで片麻痺に

 私は小学生時代に体育の時間での事故で頸部を痛め、アメリカ式のカイロプラクティックの治療院の受診したり、整体治療をおこなうマッサージ師のお世話になったりしてきました。
 そこで治療を受けた経験から首をぼきっと鳴らすととても気持ちがよく、首の周囲のだるさが軽減されることを知り、首の周囲がだるくなってくると自分でも首を横や斜めに動かしてぼきっと鳴らす習慣ができてしまいました。
 それ自体が必ずしも悪いこととは思いませんが、不適切な方法で力強くやりすぎると危険な場合があることは当時素人だった私にもわかることでした。

 先日ネットのニュース欄に掲載されたCNNニュースの記事に「首ポキをしたら血管が切れ片麻痺になった」というものがありました。
 今年の初め、アメリカで男性が力強く首を鳴らしたところ、頸部の血管が破れ麻痺が出るほどの状態になってしまったそうです。
 直後からの処置が早く、後遺症はかなり軽減されたとのことでした。

 日本で仕事をする理学療法士としては、カイロプラクターがおこなうような方法で整体治療をおこなうことはあまりありませんが、国によっては整体治療も理学療法士の仕事の領域になっている所もあると聞いています。
 日本ではむしろ痛みの出ない範囲での頸部の動きを、弱い力で自動介助運動を繰り返す治療が推奨されてきています。
 それでもそのような頸部の治療をおこなうようなときには同様な危険な事態がおこる可能性はあり得ます。
 気をつけなければ、と思わされた記事でした。

上から目線④

 私がまだ駆け出しの頃の経験です。

 「頸部痛」の診断で頸の牽引と頸部周囲の筋肉の緊張を和らげるための低周波療法(電気治療)の処方が整形外科から出された中年の女性の患者さんがリハビリテーション室にやってきました。
 話していてとても感じのいいかたで話が盛り上がり、頸の痛みの他に腰も痛いというので医師の処方にはない腰の牽引もおこなってしまいました。このことがこの患者さんに「希望すれば何でもやってもらえる」という誤ったメッセージを送ることになってしまいました。

 その次のときには別の痛いところが加わり、「ここもやってください」と話されるようになりました。
 「ここでの治療は医師の指示された内容しかできません。他の患者さんにもそのようにしているので、あなただけを特別にたくさんおこなうことはできません。最初の処方内容以外の治療をおこなうにはまた整形外科を受診して医師から新たにリハビリの処方箋をもらってきていただかないといけません。」とお話しをしたのですが患者さんは納得されません。
 「先生が急に冷たくなった」と怒りのことばを受付のスタッフにぶつけて帰られ、その後2度とリハビリにはいらっしゃいませんでした。

 私としては病院の職員としてルールに則って筋を通したつもりなのですが、患者さんには上から目線で高圧的な態度のサービスの悪いやつと思われてしまったに違いありません。
 病院に勤める理学療法士は医師の指示の範囲で仕事をすることで、医師に守られています。ルールを逸脱しては守ってもらえません。
 ルールを守らないと怖いことを知りました。

上から目線③

 私は病院での勤務を辞めたあと、特別養護老人ホーム(以下、特養)に勤務しました。
 特養では、寝たきりの入居者が相当数います。
 関節は長い時間をかけてかちかちに固く拘縮ができあがっており、もう不可逆状態で、曲げ伸ばし(ROM訓練)をしても痛い目にあわすか骨折させてしまうだけです。
 そんな入居者に生活の質(ADL)を落とさず少しでも良くするためにリハビリとして考えることの一つは褥瘡(床ずれ)の予防改善です。
 褥瘡ができているところや治りかけているところはマッサージすると皮膚が崩れてしまう可能性があるので避けますが、褥瘡になりそうなところやなっているところの周囲はマッサージで皮膚の血液循環を改善し、褥瘡にならないようにします。

 現在私は訪問リハビリの仕事に従事しています。
 この利用者の中にも、訪問リハビリを訪問マッサージのことだと思っているのか、「自分は動くは嫌い。」と言って、力を出す訓練を伴うような運動療法は拒絶し、マッサージだけを希望する人がいます。
 病院のときとは違い、私はそのような人にはひたすらマッサージをやっています。

 これらのケースでは、「マッサージはマッサージ師の仕事だから理学療法士はやりません」などと言っていては仕事になりません。
 現に私はいま、マッサージ師の資格を取るための勉強をしています。
 きちんとマッサージを学んでみると、今まで理学療法士としての現場でおこなってきたマッサージがいかにいい加減なものであったかよくわかります。
 いま私が、理学療法士の仕事をマッサージ師の仕事とは違うんだ、などと言っていては天につばを吐くようなものです。

アサガオの種まきの思い出

 今西洋アサガオを育てています。
 ゴールデンウィーク中に種を水にひたし、プランターに植え替え、双葉が出始めているところで、これからが楽しみです。
アサガオ アサガオ

 アサガオの種まきには忘れられない思い出があります。
 小学校1年生のときクラスの全員に鉢が配られ、担任の先生の説明に従ってそこに土を入れ、アサガオの種をまきました。
 先生の説明は「土に指先の爪ほどの小さな穴をあけ、その穴に種を入れる」というものだったようなのですが、人の話をよく聞かない落ち着きのない子供だった私は、指1本分の穴をあけその底に種を入れてしまいました。
 小学校1年生の指1本といっても5cmくらいにはなります。
 他のどの子の鉢よりも発芽が遅かったのは言うまでもありません。
 なかなか芽が出てこないので困ってしまいました。

 もう50年以上前の小学校低学年のときの出来事でも、こんな失敗はいくつか覚えています。

上から目線②

 25年くらい前の病院での話ですが、前に入院をしていた高齢の男性が再入院し、「またリハビリをしてほしい。」と主治医に希望して処方箋を出してもらい、リハビリを始めることになりました。
 医師の処方に沿ってリハビリテーション室で手足の関節を固くさせないための曲げ伸ばし(ROM訓練)、下肢の筋力訓練や歩行訓練をおこなおうとするのですが、病室に行くと「リハ室には行きたくない。ここでマッサージしてほしい。」というばかりです。
 その前の入院中、リハビリ室で歩行練習を少しはやったのですが、体調が悪かったときに無理をさせずに、その日は病室で無理のない範囲でできることをおこなったところとても楽だったので、それに味をしめてそのようなリクエストになってしまったようで、患者さんによかれと思ってしたことが、誤ったメッセージを送ってしまったようです。

 病室でのマッサージが数日続いたので患者さんに、
「病院でのリハビリは自分から積極的に身体を動かして、ご自宅に帰ったときの生活が少しでも自分の力でできて便利になるようにおこなうものです。歩けばまだ歩けるかたがリハ室には行かないで病室でマッサージだけするというわけには行かないんですよ。」とお伝えしました。
 患者さんは「でも、揉んでもらうと気持ちがいいから・・」と話されます。この患者さんにとっては、リハビリとはマッサージのことだ、と決めておられたようです。私も「それは、誰だって揉んでもらえば気持ちいいですよ。でもそれは町のマッサージ治療院でやってもらってください。」と返さざるを得ませんでした。
「動けるようになるリハビリをしたい人が他にもいっぱいいるので、今回のリハビリは今日で終了させていただきたいのですがよろしいでしょうか。」ときくと、「息子とも相談してみないとわかりません。」と言っていました。
 主治医と相談し結局そのかたのリハビリは打ち切りになったのですが、再入院となったとき「気持ちのいいマッサージを今回もしてもらえる」と楽しみにしていたのを断ち切られ、患者さんはがっかりしたに違いありません。
 病院でのリハビリということを考えると、このときの措置はしかたがなかったのかもしれませんが、今考えれば、「リハビリとマッサージは違うぞ。リハビリをマッサージと一緒にするな。」という少し高慢な気持ちが私の中にあったのかな、とも思います。

上から目線①

 50年近く前の話ですが、美容師をしていた母が、あるとき用があって外出しようとしているところに、いつも母の店を使ってくださっている高齢のお客さんが「髪をやってほしい。」とやってきました。母は事情をお話しして後日来ていただけないかうかがうと、そのことを不快に感じたお客さんの口から「髪結い風情が。」という言葉が出たのだそうです。
 このお客さんは古い大きなお宅の奥様で、当時のこの世代のこのような方から見れば美容師は昔の「髪結いさん」といささかも違いのないものに見えていたのかもしれません。
 もちろん母のほうに美容師と髪結いの間に貴賤をつける気持ちは毛頭ありませんでしたが、その言葉と言い方に上から蔑む差別的な感じを受けたそうです。
 大事な用事でしたが外出を断念し、仕事をせざるを得ませんでした。

 私が病院の職員として駆け出しだった30年近く前、職員旅行に行った先で同室になった調理師から「よかった。あんまさんと同じ部屋だ。揉んでもらおうかな。」と言われカチンときたことがあります。(これは以前にもここで書いたことがあります。)
 その調理師さんには新参者の「理学療法士」や「リハビリテーション室」というものは、それまであった(現にその病院にいた)「マッサージ師」や「マッサージ室」となんら変わりのない、ただレッテルを張り替えただけのものだと思っていたようです。(そのような職員が他にもたくさんいました)
 「理学療法士はあんまさんとは違うぞ。」と思ってしまった私に「理学療法士はマッサージ師よりも上なんだ。混同するな。」という気持ちがあったことは否定できません。当時のほとんどの理学療法士はそのように思っていました。今も思っていると思います。
 前回書いた「一番いい先生」と言われて喜んでいたリハビリ助手も、資格を取ったとたんに嫌みな理学療法士になってしまいました。

 病院に勤めていると、医師は他職種の人に対して、薬剤師は医師以外の他職種の人に対して、看護師は看護助手に対して、「自分のほうが上なんだ。」という意識を持っていることを感じます。
 看護師、レントゲン技師、臨床検査技師、臨床工学技師などのコ・メディカル間でもそのような貴賤をつける意識を持っている人がいます。
 いやな世界です。

一番いい先生

 理学療法士の養成校の夜間部の学生時代、昼間にリハビリ助手として働く経験を2つの病院でさせていただきました。

 1つ目の病院では、1人いた理学療法士の先輩の強烈な個性に圧倒され、ずっと「借りてきた猫」のような状態になってしまいました。
 先輩が患者さんにおこなっている技術を盗んで患者さんに使ってみようと思っても、先輩の目を意識してしまってなかなかおこなうことができません。
 2つ目の病院では3人いた理学療法士の先輩たちがおだやかな人たちだったこともあり、前の病院で先輩がおこなっていた技術を、さもよく知っていて慣れているかのように患者さんに使うことができました。

 私の一時かよっていたキリスト教の教会でときどき牧師の異動(転勤)があります。
 特に若いうちは2年くらいで替わっていくようですが、このことについてベテランの牧師が「若いうちは説教(お話)をうまく作ることができない。教会を2~3年で替わると前に使った話をまた使うことができ、内容もだんだん練れて話しが上手になっていく。」と言っていました。
 「板前は店を替えると腕が上がるように看護師も病院を替えると腕が上がる」と言っていた看護師がいましたが、これらの話と同じように私たち理学療法士も、病院等の勤め先が替わることのいいことは前に仕込んだ技術が使いやすくなるところにもあるのだと思いました。

 この2つ目の病院では気持ちに余裕を持つことができたのか、患者さんともとても良い関係を作ることができたように思います。
 あるとき新たに担当することが決まった患者さんを迎えに4人部屋の病室を訪れたときのことです。
 その部屋の他の患者さんも皆さんすでにリハビリを受けていて、先輩の理学療法士たちが担当していた患者さんたちだったのですが、私が担当することになった患者さんに、「良かったわね。一番いい先生に当たったわよ。」と声をかけていました。
 実際はスタッフの中で技術の一番劣った、優しさだけで接していた、まだ資格のない見習いなのですが、「そのように見てくださっていたのか。」ととても光栄に思いました。

平成と理学療法士の私

 平成の天皇陛下が退位され、皇太子殿下が即位されて今日から元号が「令和」となりました。私と同年輩の浩宮様が天皇陛下です。

 昭和天皇が崩御されたのは、私が理学療法士の養成校の2年のとき、リハビリ助手として病院に勤務するようになった1年目のことでした。
 1月7日の朝、病院に出勤する東急東横線の電車の中でラジオを聞いていて、電車が中目黒を出たあたりで陛下の崩御を知りました。
 中目黒を過ぎるとすぐ代官山を通過して終点の渋谷となりますが、崩御の知らせを聞いてすぐ代官山と渋谷の間を走る電車の車窓から日赤医療センターを見てみました。
 ラジオで崩御を知ってから1~2分しか経っていませんでしたが、当時まだ見えていた日赤医療センターの旗はすでに「半旗」になっていました。
 さらにその1~2分後、電車が終点渋谷駅に到着し、東急百貨店東横店の入り口の前を通ると、もう喪に服した装いになっていました。
 この前年から天皇陛下のご容体が悪く、テレビは連日陛下の血圧等のバイタルを報じていましたが、崩御の知らせは関係者にすぐ伝わり、日赤もデパートも早くから陛下の崩御の知らせを受けて、動いていたようです。

 平成元年・2年とリハビリ助手として病院に勤務し、またインターン生として病院で学び、平成3年には学校を卒業して国家試験に合格し、理学療法士の有資格者になりました。そしてそこからずっと病院と老人ホームで理学療法士として働いてきました。
 平成は私にとってずっとリハビリに向き合ってきた時代です。

誰のためのお葬式②

  父の葬儀のときに使った互助会組織の葬儀屋がおこなう葬儀では、自宅に介護サービスの訪問入浴のような浴槽がやってきて遺体を入浴させるという「湯灌(ゆかん)の儀」という儀式がありました。
 これをありがたいと感じる遺族もいるのでしょうが、病院で患者の臨終場面にも立ち会ったこともあり、人の死を冷静に見ることができるようになった理学療法士という一人のサイエンティストとしては、こんなことに付加価値をつけて本当に無意味なことだ、と感じました。
 入院していた病院を出てくるときにきちんと清拭してもらったことが無駄になるし、家に浴槽を持ち込んでまで入浴させなくても清拭をするだけで十分です。
 葬儀屋に抗議をすると「事前打ち合わせの時にきちんと説明をした」と言いますが、初めて葬儀を出す者にとって「湯灌」の意味などわかりません。
 他の業者の説明も聞いて比較するような時間的余裕もありません。
 葬儀屋にいいようにやられてしまいました
(この辺の話は以前にも取り上げました。)

 病院に勤務していた頃、病院に勤務をする前に結婚式場で働いていたことがあるという職員から「結婚式場でする結婚式は『結婚式場屋』のためにする結婚式だ」と聞いたことがあります。
 確かに友人が大きな結婚式場で結婚披露宴をしたときのことを考えると、「こんなことに」と思うようなところにまで思わぬ付加価値が付けられていました。
 私はキリスト教系の学校に在籍していたことがあるので、教会関係の友人が教会で結婚式を挙げる場面にいくつも立ち会ってきました。いつも礼拝をしている質素なチャペル(礼拝堂)で式を挙げ、その教会の集会室でお披露目をするような結婚式です。
 そのような結婚式を見た後で結婚式場に併設された豪華なチャペルで挙げる結婚式を見ると、「これは嘘だ。ただのショー(見せ物)だ。」と感じます。

 このように見てくると、「葬儀屋に頼む葬式は『葬儀屋』のためにする葬式だ。」ということになります。

 父のときの反省から、母のときは簡素な葬式にしました。
 母は最期までの12年間を特別養護老人ホームで過ごしました。
 老人ホームを出るときに、ホームの多くの職員のかたから献花をいただくお別れ会をしていただいたので、それをもって母のお葬式とし、その後祖母のときに前例にならい(前回参照)、火葬場へ直行しました。
 葬儀屋に直接関わってもらったのは、死亡の後の死後処置とドライアイスの用意、役所に提出する書類の用意とホームを出て予約してもらった火葬場まで車で運んでもらったくらいです。
 このような簡素なお葬式に批判的な人がいることは承知していますが、とても心のこもったあたたかい送り出しだったことに満足しています。
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