リハビリの世界の話を患者さんやそのご家族、またこれからリハビリに興味を持ちたいかたなど、リハビリの専門家ではないかたにも読んでいただけるようわかりやすいことばでブログにしてみました。趣味の話も少々。                    (旧タイトル・理学療法士板東蓮三郎の視点論点)

脳挫傷

 初めてハワイに行ったときに、現地でのオプショナルツアーの説明会で担当者がお勧めのツアーとして、背中にパラシュートをつけモーターボートに引っ張ってもらって海上を空中遊泳する「パラセーリング」をあげていました。
 空中にあがるとまったく音がない状態になり独特の開放感が味わえるとの説明を聞き、それ以来ずっと一度経験してみたいと考えているのですが、まだ実現していません。

 以前に(パラセーリングとは少し違いますが)パラグライダーをやっていて墜落し頭を打って脳挫傷になってしまった30代の男性の患者さんを担当したことがあります。
 墜落後しばらく意識不明の臥床時間があったため、いくつかの筋肉が短縮して関節の動きが制限され歩き方にぎごちなさが見られましたが、T字杖を使えば通常に近い生活は送れそうでした。
 一番問題だったのは記憶障害で、お話ししていると普通の人のようなのですが、次回のリハビリの約束をしたり私がいない日をお伝えしても、正しく覚えていることができず、紙に書いてお渡しするか、奥様が同伴してきたときは奥様にお伝えしなければなりませんでした。
 「頭を打つとこんな風になっちゃうことがあるのか。」と思い知らされた患者さんです。
 私も空を飛んでみたい夢を考え直したほうがいいのかなあ、と思ってしまいました。
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患者さんを記憶

 私は理学療法士養成校の学生だった頃、散髪はよく渋谷のチェーン店の床屋さんを利用していました。担当してくれる理容師さんは毎回違うのですが、あるときの理容師さんから「私以前にお客さんの髪を切ったことがあります。つむじの形に見覚えがあります。」と言われたことがありました。
 毎日たくさんのお客さんの髪を切り、常連さんでない限りお客さんの顔をいちいち記憶していないであろう床屋さんでも、商売柄つむじの特徴は記憶に残っているんだなあと、面白く思いました。

 医師でもあった作家の渡辺淳一さんの本を読むと、かつて手術を担当した患者さんと再会したもののその患者さんのことを思い出せず、手術をした傷口を見たら思い出した、という話が載っていました。

 私も病院のロビーで何となく見覚えのある男性に声をかけられ、「その節はお世話になりましてありがとうございました。」と言われたものの具体的な内容はさっぱり思い出せないことがありました。
 毎日何人もの患者さんに接していると、申し訳ないのですが少し前の患者さん個々の記憶が曖昧になってきます。しかし患者さんにとってはその病院である程度時間をかけて治療を受けた治療者なのでよく覚えてくださっているようです。ありがたいことです。
 どうしようかと思ったのですが「その後調子はいかがでですか?」とうかがってみました。「はい、足の調子はとてもいいです。」と言って片方の足を少し上げ足首を動かして見せてくださったりすると、やっと「ああ、アキレス腱の切断でリハビリをやった患者さんだ。」という風に何とか少しずつ記憶がつながってきます。

 リハビリのように一人の患者さんと1度接し始めるとある程度長い期間おつきあいをするようになるので、それなりに印象を留めることもできるのですが、それに比べ毎日もっと多くの患者さんと外来で会い、患者さんお一人当たり数分ずつという接しかたになるお医者さんたちは、患者さんお一人お一人の顔を覚えて対応するのは難しいだろうな、などと想像しています。

アメリカの脳卒中の患者と

 私は仕事を続けられる時間が残りあと少しになってきているような年齢になっているのに、いまだにアメリカに行って一定期間勉強してみたいという夢が消せずにいます。
 英語の勉強もまだまだです。

 アメリカに行って理学療法士の資格を取ってきた知人からアメリカで理学療法士の実習をしたときの話をきくと、「ただでさえ英語がよくわからないのに、脳卒中で失語症や構音障害になった人が話す英語を聞かなくてはいけないので、本当にわけがわからなかった。」などと言います。
 たしかにそのような疾患の患者さんの話すことばは日本語でもよくわかりません。それなのに英語だったらなおさらです。

 そんな話を聞くと今から行ってもしょうがないんだろうな、と現実的になってしまいます。

初めての葬儀

 先日私の父が亡くなったときの話を取り上げました。
 祖母が亡くなったときに準備をしていなかったために父とその兄弟がとても大変だったことから、私の負担を軽減しようと考えた父は、自分が亡くなるときに備えて冠婚葬祭の有名な葬儀屋の互助会組織に加入していました。
 そのため実際に父が亡くなったときその葬儀屋に仕切ってもらって葬儀を出したのですが、こちらが身内の葬式を出すのが初めてで慣れていないのをいいことに、その葬儀屋にいいようにやられてしまいました

 その葬儀屋がやったことの中で私がもっとも不信感を持ったのは、家に移動式の浴槽が来て死者に儀式めいたやりかたで入浴をおこなう「湯灌(ゆかん)」という儀式です。
 父は病院で亡くなった後、病理解剖を経てきちんと清拭を受けています。入浴をしてしまうと、病院でおこなった清拭が無駄になってしまうと感じ、改めて風呂桶を持ち込んで入浴をすることに私は違和感を持ってしまったのです。

 葬儀のあと葬儀屋に「まさか移動式の浴槽が来て入浴をするなんて考えもしなかった。何で高い料金を取ってあんな無駄なことをするのか」と抗議すると、「葬儀の前にきちんと説明した。」の一点張りです。
 その後このことを消費者センターの相談係に相談すると、「入浴をしてもらって喜ばれるご遺族もいらっしゃると思いますよ。」と言われてしまいました。
 私は当時病院に勤め、実際に多職種経験の実習のときに臨終の場面にも遭遇し、死後処置まで経験させてもらって、人の死に対する考え方が一般の方に比べてとてもドライになってしまったのかもしれません。

 このときの反省により、母が亡くなったときには、亡くなった施設から自宅を経由せずに直に火葬場に連れて行きました。
 このような考え方に「冷たすぎる」と批判的な人がいることも承知していますが、葬儀を華美にし、無駄に付加価値を付けることに違和感を感じ、簡素にする人が増えていることに私は同意できます

よく噛んで食べる

 私はこどもの頃から、ご飯をよく噛んで食べるという習慣を身に付けることができず「鵜呑みだ」と言われて、親から何度も注意されてきました。
 大学生のころ遊びに行った友人のお宅で、友人のお母さんにも「もっとよく噛んで食べなきゃ。」と言われてしまったほどです。

 テレビや新聞記事に出てくる元気な高齢者は、「健康長寿の秘訣は何ですか?」ときかれ、「ごはんを形がなくなるまでよく噛んで食べること。若いころから続けている。」と答えるのを何度も見てきました。
 そうすれば唾液が多く分泌され、満腹中枢が早く機能し食べ過ぎを防ぐことができて肥満になりにくくなり、胃の負担も軽減されて、健康にいいことばかりです。

 私がいま勤める老人ホームに90代なかばのたいへん元気なおじいちゃん、小平さん(仮名)がいます。ラジオ体操にはいつも張り切って参加し、物足りないのか一人で腕立て伏せまで始めます。転ぶ危険があるのであまり動き回ってほしくないのですが、ちっともじっとしておらずに歩き出します。
 小平さんの食事の摂りかたはズバリ「流し込み」です。
 食べ始めたかと思うやいなや、お皿の上をブルドーザーが通り過ぎたかのようにスプーンで食べ物を口の中に流し込み、食べ終わるとすぐに立ち上がって歩き出します。
 ご家族にお話をうかがっても、小平さんは昔からそんな食べ方だったそうです。

 小平さんを見ていると、いつも言われてきた「よく噛んで食べなさい。」もそれほど絶対的なものではなく、健康長寿はその人が持った「運」のような気がしてしまいます

先天性股関節脱臼

 朝日新聞に「先天性股関節脱臼(先股脱)」の記事が出ていました。
 最近は先股脱になる子どもが減る一方、先股脱があるのに発見が遅れるケースが増えているそうです。

 理学療法士の養成校の2年目の冬に、横浜市内の病院で1回目の評価実習(1週間)を受ける機会がありました。1回目の評価実習は整形外科の疾患の症例についておこなうことになっていました。
 その病院はスポーツ整形でたいへん実績のある病院でしたが、そのとき私が評価をするために担当させていただいたのは2人の変形性股関節症の患者さん、おひとりは高齢の女性、もうおひとりは中年の女性でした。
 この実習を通して変形性股関節症は、男性よりも女性に多く、中年以降に発症し、子供のとき先股脱だった人に多いことを知りました。

 先股脱があるとわかった赤ちゃんは、両脚を開いた形に固定する装具を数ヶ月装着する治療がおこなわれます。

 理学療法士の養成校の4年時に3期までおこなわれた8週間の臨床実習の第1期目では、東京都内の小規模の病院のお世話になりました。
 この病院で実習を受けているとき、どこかの部署からリハビリテーション室に1本の電話がかかってきました。
 電話を受けた理学療法士が受話器を耳に当てると「〇〇〇〇お願いします。」という声が聞こえてあっという間に電話は一方的に切られてしまったようです。
 受けた理学療法士は「いま何て言ったんだろう?どこからの電話だったんだろう?」と話し、電話をかけてきた相手がどこのだれかもわからないためにこちらから再度確認のための電話をすることもできず、困っていました。
 やがてリハビリテーション室に赤ちゃんを連れたお母さんが現れ、先股脱のための装具を作ることになりました。
 その段階で先ほどの電話を受けた理学療法士は「さっきの電話は『リーメンお願いします』だったんだ。」と判明し、安心していました。
 このことがあったために先股脱の際に赤ちゃんに使用する装具が「リーメンビューゲル」という名前であることが頭に刻まれました。

 学校の整形外科の時間にも絶対に習っているはずなのですが、授業のときには頭の中を素通りしていたその名前も、このような実習の場での印象的なやりとりのおかげでしっかり覚えることになりました。
 このような場面を経験できるのも臨床実習のいいところです。

終末期の意向確認②

前回の続き
 私の父は気管支拡張症の持病があって呼吸器に痰が貯まりやすく、一旦咳が出始めると咳がずっと続きとても苦しそうでした。晩年の1年間は「在宅酸素療法」のお世話になり、常時酸素ボンベからの酸素のチューブがつながった生活となりました。
 最後の入院のとき(それ以前の入院のときも)終末期になった際にどのように希望するかの意向確認があり、「延命処置を希望する」「延命処置はおこなわず苦しまないだけの処置で自然にまかせる」の選択肢の中から私は後者を選択していました。
 その選択の際主治医に「やはり父は最期苦しむのでしょうか?」とたずねると「たぶんそのときは意識がないでしょうから苦しまれることはないと思います。」との回答でした。
 父の容態が急変したとの連絡があり病院に行くと、まだ父の意識はあり、「苦しくない?」ときくと「苦しくないよ。」との会話ができたのですが、次第に意識がなくなりました。
 その日は日曜日で主治医は休みだったのですが、代わりの担当医が「本当に延命処置をしなくてよろしいでしょうか?」ときいてきました。
 この質問をされたときはさすがにグッと心に来るものがありましたが、ここで延命処置をお願いすれば、私自身が医療従事者であり、のどに穴をあけられ(気管切開)人工呼吸器による呼吸となり、その他にもいろいろなチューブや線がつけられて生きていくというストーリーが読め、それは父を苦しめるだけだということがわかっていたので、「はい、結構です。」と答えました。
 最期は本当に線香花火が終わるように亡くなりました。

 あとで新聞記事などで知ったのですが、多くの家族が意向確認のときには「延命はしない」との意思表示をするそうです。にもかかわらずその中の相当数の家族が、最期の瞬間に立ち会ったときに「もう少し長生きさせてあげてください。」に変わってしまうそうです。
 新聞の投書欄で読んだ、父親の最期の場面で延命処置を希望し一時的に延命できたものの、その後お父さんとの別れを経験された女性からの投書では、「父親との別れを受け入れるための時間が欲しいだけだった。私のわがままだけでお父さんに苦しい思いをさせてしまった。」と後悔しておられました。
 延命処置を希望しない私のようなありかたを、「薄情だ」と思う人がいるかもしれません。しかしこれも父への心からの愛情であったと私は心底思っています。

終末期の意向確認①

 私が勤める老人ホームでは、入居されているご利用者ごとに年に1~2回ご家族をお招きして「カンファレンス」という会議が持たれます。
 施設からは介護担当者やケアマネジャー、看護師、管理栄養士、リハビリ担当者が出席します。
 出席可能であればご利用者ご本人にも出席していただきます。

 その会議の最後にご家族に対し「終末期(ターミナル)の意向確認」という話し合いをおこないます。(この話をするときはご利用者ご本人にはお部屋に戻っていただき、その後ご家族とします。)
 入居されているご利用者の体調が変わり、終末期に向かっていくことがわかってきたときに、「(救急車を呼んで病院に搬送するなどの)延命処置をするか」それとも「(延命処置をおこなわず)そのまま施設で終末を迎えるか」などのご意向をご家族に確認するのです。
 ご利用者が施設に入所するときにも確認させていただいているのですが、カンファレンスのたびに改めてご意向を確認させていただいています。この意向が明確でないと、急変時に救急車を呼んでも救急隊員は病院への救急搬送をおこないません。

 会議の席でご家族にご意向をうかがうと、はっきり「延命処置はしなくていいです。」と話されるかたや、「通常の処置で回復が見込めるのであれば処置をお願いしたいが、特別な処置までは希望しません。」と話されるかたがいる一方で、「急に聞かれても何とお答えしていいかわかりません。」と動揺されるかたがおられます。
 いま施設で暮らしておられる高齢の親御さんがお元気なため、終末期はまだ先だろうと考えて具体的なイメージができないようです。

 終末期がある日突然やって来るのは高齢者に限ったことではありません。
 心の準備をしておいてくださいと言われてもイメージしにくい、あるいはイメージしたくないのはしかたがないことです。 続く
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