リハビリの世界の話を患者さんやそのご家族、またこれからリハビリに興味を持ちたいかたなど、リハビリの専門家ではないかたにも読んでいただけるようわかりやすいことばでブログにしてみました。趣味の話も少々。                    (旧タイトル・理学療法士板東蓮三郎の視点論点)

医師の決めたことは信じちゃう

 20代前半の頃、耳鼻科で手術を受けるため川崎市内の病院に入院したときのことです。
 手術のあと、腫れを抑えるための薬(抗生物質)の点滴注射を腕に受けたのですが、だんだん肘の周囲がふくれ上がり、肘の関節の曲げ伸ばしもしづらくなってきました。
 点滴が終わるころ、針を抜くためにやってきた医師に「何でもっと早く言わなかったんですか?」と言われたのですが、「そういうものだと思っていたんです。」と答えると「うそだよ、うそだよ」と嘆いていました。
 注射針が血管から外れていたようですが、医師は外れることがあるとは考えず、また異常事態が起これば患者はすぐに知らせるだろうと考えていたようです。
 しかし素人はそれが異常事態だとすらわからないこともあります。
 「素人の考えることは恐ろしい。」などと医師は思っているかもしれませんが、素人ってそんなものです。医師の決めたことは信じてしまいます。
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最近の私の体験(薬の副作用)

 私は今月に入ってからひどい肉体疲労を感じ、休みの日には朝食後に眠り昼食後にもまた眠る状態が続いていました。
 弱い頭痛が続いておりこれは風邪なのだろうと考えたこともあったのですが、毎朝計っている血圧、脈拍数、体温には異常はなく、なんでこんなに具合がわるいのだろう、歳のせいなのだろうか、とも思いました。
 近くの内科を受診すると、漢方の風邪薬が処方され、これであまり変わらなかったら血液検査をしましょう、ということになりました。
 処方箋を持って薬局に行くと私の「お薬手帳」を見た薬剤師から、耳鼻科から処方されて2月からのみ続けている花粉症対策の薬による副作用の可能性がある、との指摘を受けました。
 薬を処方した耳鼻科に相談したわけではありませんが、花粉の影響もそろそろなくなってきているだろうと考えて、花粉症の薬をのむのを止めてみたところ、すぐに変化が現れ身体が軽くなったのがわかりました。
 花粉症対策の薬は例年この時期にのんでおり、今まではここまでひどい疲労感などの症状が出たことはなかったので、薬の副作用の可能性があるとは考えてもいませんでしたが、どうやら薬剤師が指摘した通りだったようです。
 副作用もなく花粉症の症状が抑えられてきた去年までのこともあるし、それに基づいて医師が処方したのだから間違いないと信じ込んでいましたが、1日1錠の小さな薬でも肝臓には相当な負担となっていたようです。来年は他の薬に代えてもらえるよう医師にお願いしないといけません。
 薬を甘く見てはいけないことが、身をもってわかりました。

元やくざの患者さん

 リハビリの仕事をしてきて、今までに何人かの元やくざの患者さんを担当しました。
 その中のお一人はそうとわからなければふつうのおじさんで、内科の病気で長患い(長期臥床)したために足腰が弱り、歩けるようになって退院するためにリハビリのオーダーが出たかたでした。
 少しずつ歩けるようになって病院の中を一緒に歩いていたときに、これもまたふつうのおじさんが向こうからやってきて「Pさんですよね。」と丁寧な挨拶をしていかれたことで、この患者さんはそちらの世界のかたで、それもかなり高い地位にあった人らしいことがわかりました。
 それ以来この患者さんから一緒に歩行訓練をしながら、いろいろなお話をうかがわせてもらいました。

 やくざと暴力団は必ずしも同じではないという話、芸能界の人同士の夫婦に子供がいないところが多いのは梅毒の人が多いからと言う話や、ある有名人の夫婦は妻に夫との結婚前から続いている愛人がいたことが夫に知られ離婚寸前になっていたのに、夫が亡くなったために離婚話が表沙汰にならず丸く収まっているなどという芸能界のウラ話もありました。

 何も知らなければ美しく見えていた世の中も、こんな機会があると違う見方ができるようになって面白い、おどろおどろしいものだと、この患者さんを通して教えてもらいました。

介護士のトイレでのプロ意識

 「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のエンディングで一世を風靡した映画評論家の淀川長治さんは、慕っていたお母様を亡くされたあと、母親の便のついたパンツのにおいを嗅いでは母親のことを偲んでいた、という話を聞いたことがあります。

 老人施設で働いていて、特に認知棟では、きちんと尿意便意があって自分でトイレに行き、人の手を借りずに用を足せる利用者(入居者)はごく数人しかいません。
 介護士の手で排泄介助をしてもらったり、入浴の前に風呂の手前の脱衣室でストレッチャーに寝た状態で、看護師が薄い手袋をはめた指を肛門に入れて便を穿り出す「摘便」を受けている人も多数います。

 お姑さんの介護をしていて、「排泄介助の際の臭いが辛く、何とかならないか」と言った新聞の投書を見たことがあり、このような場面で使うために開発された、排泄物を吸い取る器具が開発され市販されている、という記事も読んだことがあります。

 老人ホームの、私の娘といってもいいくらいの若い女性介護士が、トイレで高齢のかたのおむつを交換し、専用のお湯で湿らせたタオルで股間を拭いているのを見たとき、「大変だね。偉いね。」と声をかけたところ、「私、この仕事を5年やっていて、これを辛いと思ったこと一度もないです。」と明るい声で応えてくれました。
 介護士としての高いプロ意識ももちろんですが、まだ私にはまねができず、淀川さんがお母様に持っておられたのと同じような、お年寄りに対する深い愛情を持って接しているのがひしひしと伝わってきました。

言えないの

 今リハビリをおこなっているひとかどの病院では、リハビリの専門職として「理学療法士」と「作業療法士」のほかに「言語聴覚士」が在籍し、言語療法のほか、聴覚や嚥下に関わるリハビリをおこなっています。
 言語聴覚士は制度化されて国家試験がおこなわれ、有資格者が世に出てきたのは比較的最近のことで、それ以前はそのような対象患者は、制度化される以前の「言語療法士」が診たり、言語療法士がいない施設では私たち理学療法士や作業療法士がよくわからないまま診ていました。

 昔担当した脳卒中の患者さんで、脳の障害がおこった部位が言語を司る場所だったらしく、失語が起こっていた女性の患者さんがいました。
 こちらが話しかける内容はわかっているようで、感覚性失語はないかあっても軽微だったようなのですが、「お名前は?」などと質問するとニコニコ笑いながら「言えないの」とばかり答えられていました。
 「言えないの」以外の言葉を聞いたのは、彼女のお名前が歌詞に読み込まれたある有名な歌を歌って聞かせたときで、そのことに気づいたらしく途中で「やめてー」と言ったことぐらいで、それ以外はほとんどお手上げでした。
 質問に対し「言えないの」ははっきり言えるのに、それ以外のことばが出てこない状態がどのようなタイプの運動性失語なのか、私にはいまだにわかりません。
 現行の言語聴覚士が当時いたら、どのように対応したのか、本当に知りたいとずーっと思っています。

女装大会

 私が通った理学療法士の養成校では、私の在学当時、文化祭の後夜祭で毎年「女装大会」をやっていました。
 クラスごとに出しものを工夫しておこなうのですが、1年生のときは私のクラスはうまい出しかたを知らず、そのときの反省から2年になったときは、男性だけで「白鳥の湖」などをするトロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団の真似をして、「4羽の白鳥」をやりました。ただし、白鳥を演じる人が4人集まらず「3羽の白鳥」になってしまいました。
 私はこのようなときにバカをやるのが好きなのですぐに参加してしまいますが、声をかけたクラスメートの中には男の美学が許さない、と言わんばかりに「女装なんて冗談じゃない。」と断固拒絶する者もいました(彼は今、大学教授になっています)。

 私の自宅からほど近いところに神奈川県立翠嵐(すいらん)高校という学校があります。県立湘南高校と並んで、県内の公立では最も頭のいい子たちが通う高校です。
 この高校の体育祭には「かわい子ちゃん」というプログラムがあります。
 学校全体を4つのチームに分けて優勝を争い、チームの中でその年の1年生の男子全員が女装をし、それをお世話するのは2年生の女子と決まっていて、チームごとに宝塚のショーのようなだしものを演じるのです。
 何回か見に行ったことがあるのですが、みな役割に徹して熱演していて、なかなか見応えがありました。

 愛知県にある男子校の東海高校では、毎年の文化祭で「カズラカタ歌劇団」と称し、宝塚の演目を演じています。伴奏も同校のオーケストラ部による生演奏で、ネットの動画で見るとパロディーなどではなく本格的なものです。あまりの評判に毎年観に来る観客もいるそうで、宝塚歌劇団の演出家もお花を持って観劇に来たことがあるそうです。
 この学校も多くの東大合格者や医学部合格者を輩出する一流の進学校です。

 私たちの文化祭の女装大会ではなかなか女装をする人を集められませんでした。いつもバカでは困りますが、翠嵐高校といい東海高校といい、頭のいい子たちはバカをやっていいときには徹底してやって楽しんでしまうんだなあと感心させられました。

どこでも手すり

 今脳卒中右片麻痺のかたの歩行訓練をしています。
 杖歩行はおっかなくて神経を使い長くは歩けないけど、手すりにつかまっての歩行なら自信があって、どこまででも歩けると言っています。
 ドラエモンが来て彼女が進む所の左側に「どこでも手すり」を出してくれたらいいのに。

理学療法士と残業

 最近ではちょっとした病院にはリハビリテーションスタッフはかなりの人数がいるのがふつうになり、理学療法士だけで10人を超えるところも珍しくなくなりました。
 私が理学療法士になった四半世紀前には私が勤めていた総合病院でも私が2人目の理学療法士で、「もっと増やして」と申請を出しても「人件費がかかるから」と相手にしてもらえず3人目の理学療法士を採ってもらうまでに数年かかりました。
 当時の病院経営者は、リハビリは医療のおまけのようなもの、と考え大切とは思っていなかったのです。

 当時受付や医療事務を担当してくれていた女性スタッフが退職し、新たな事務職員を入れてもらおうとしても、「受付業務など理学療法士自身で仕事の片手間でもできるだろう、自分たちでやれ。」というスタンスで、新しいスタッフをまったく採用してもらえませんでした。
 その頃その病院のリハビリテーションスタッフは私以外は視覚に障害のあるかたばかりで、いきおい事務仕事は私の上にのしかかってきました。
 自分の担当している患者さんの治療(リハビリ訓練)をしながら、その合間で、来室した外来の患者さんの受付票を順番に受付処理し、それによって使う医療機器の順番等の段取りを考えて手配し、外来患者さんが終わるまでには会計伝票を持たせ・・・・という怒涛のような午前中を過ごし、午後もリハビリが終わると毎日の患者さんの記録を残したあと、その結果を受けて医事課に送る日報、月報を作成して・・・・・。という日々を毎日おこなっていたら月の残業時間が60時間になりました。自分本来の業務も十分には取り組めず、ただ日々の疲労だけが蓄積されへとへとになりました。
 この残業時間数を受けて病院側も「たいへんなことになっている」と認識してくれて、やっと重い腰をあげて新たな事務職員を入れてくれることになりました。

 広告代理店の電通で過重な残業に耐えかねてうつ状態になり自殺する人が出てしまったために、政府も働きかたの改善に取り組み始めました。しかしその内容は「繁忙期は1か月の残業は100時間まで」というものです。
 産業界の「この程度の残業は当たり前」という圧力に屈したのでしょうが、逆に「100時間までは残業していいんだ。」というお墨付きを与えているようなもので、規制は骨抜きになってしまいます。
 この国では余暇の充実もワークシェアリングの拡充も夢のまた夢のようです。
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